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ワールド大阪ロータリーEクラブ
会長 辻江 正清(不動産管理業)
日本の環境問題について考えたいと思います。
日本は狭い国土に多くの人口が集中しているため、環境問題は深刻な課題となっています。以下に、日本の主な環境問題についていくつか挙げます。
- 温室効果ガス排出: 日本は工業国であり、多くの温室効果ガスを排出しています。特に、化石燃料の使用による二酸化炭素の排出が大きな問題です。
- エネルギー依存度: 日本はエネルギー資源に乏しいため、輸入に頼っています。原子力発電所の事故(福島第一原子力発電所事故)の影響を受け、一時的に多くの原子力発電所が停止し、代替手段として化石燃料に頼ることが増えました。
- 廃棄物処理: 日本の人口密度の高さからくる廃棄物処理の問題もあります。特に都市部ではごみの処理やリサイクルが課題となっています。
- 水質汚染: 工業や農業の活動により、水質汚染が進んでいます。特に、適切な水処理が行われていない工場や農地からの排水が問題となっています。
- 自然環境の保全: 日本は美しい自然環境を持っていますが、都市化や開発により生態系が破壊されることがあります。特に森林や海洋の保全が重要な課題です。
これらの問題に対処するため、日本政府は環境政策の策定や再生可能エネルギーの導入、リサイクルの推進など、様々な取り組みを行っています。また、個人や企業も省エネや資源の有効活用などに取り組むことが求められています。
ワールド大阪ロータリーEクラブ
SAA
角谷 智志(保険業)
SAAより、ワールド大阪ロータリーEクラブ第563回例会の出席報告をさせて頂きます。■会員総数:28名
■今週の出席:28名
■今週の出席率:100%
以上です。
幹事報告
ワールド大阪ロータリーEクラブ
幹事
小田 健二(求人広告業業)
・各位メッセージボードをご確認ください。
ワールド大阪ロータリーEクラブ
副会長 IT総括担当
定成みず希(IT関連)
ロータリアンの皆さんこんにちは。
最近海外出張が増えて、出張先のロータリークラブにメークアップをする機会が増えました。
今日は皆さんご存知の海外のロータリアンをフューチャーしたいと思います。
フューチャーするロータリアンはそうケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者であるハーランド・サンダース氏です。
彼の生涯は、困難を乗り越えて成功を収めた信念と情熱の物語です。
サンダースさんは5歳のときに父親が亡くなり、その瞬間、母親が工場で働けるよう、母親に代わって料理人にりました。6歳のとき、彼はライ麦パンを焼き生計を立てたそうです。
幼い子供としては非常に大きな成果であり、近くや遠方の大人が彼の技術を高く評価しました。
その賞賛は、他の人に奉仕する喜びを彼の心に深く刻み込みました。
10歳で農場で働き始め、その後路面電車の車掌、兵士、鍛冶屋助手、鉄道消防士、フェリー船長など幅広い仕事を経験しました。
1914年の姿
大恐慌の時代に失業し、生活は困窮しましたが、彼はあきらめませんでした。
(サンダース氏は、1919 年に 29 歳でインディアナ州ジェファソンビル・ロータリー・クラブの創立会員となって以来、積極的なロータリアンでした。その後、コービン・ロータリー・クラブ、次にシェルビービル・ロータリー・クラブに入会し、活動的に活動しました。
ちなみに多くの功績を残した彼の人生に扉が閉まる1980年までメンバーでした。)
しかし、彼の情熱と信念が揺るがず、彼のチキンの味に魅了されたオーナーが現れました。
彼はサンダースにフランチャイズ提供を申し出ました。
これが、ハーランド・サンダースの人生における大きな転機となりました。
彼はフランチャイズを受け入れ、その小さなレストランでケンタッキーフライドチキンのキッチンを開きました。
最初は困難な時期が続きましたが、サンダースは執念を持ってチキンの味を追求し続けました。
1930 年、ケンタッキー州コービンの小さな田舎町にガソリン スタンドを開設しました。
それが世界最大のファストフード フライド チキン チェーンに発展する始まりでした。
車にガソリンが必要であるのと同じように、人々にもおいしい食べ物が必要であることに気づいた彼は、テーブルと椅子6脚を用意し、ガソリンスタンドの一角に「サンダースカフェ」をオープンしました。
サンダースが用意したフライドチキンは客に大好評で、連日店の前には提供を待つ長蛇の列ができた。
やがて、彼のチキンの美味しさと独自の秘密のレシピが口コミで広まり始めました。人々は彼のレストランに殺到し、その味わいに感動しました。
それがきっかけで、ケンタッキーフライドチキンの名声が急速に広まっていったのです。
ハーランド・サンダースは、自身の信念と情熱を持ち続けながら、レストランチェーンを拡大していきました。
彼の創業から数十年後、KFCは世界中に広がり、多くの人々に愛されるブランドとなりました。
この物語は、ハーランド・サンダースの成功の秘訣を示しています。
彼は困難な状況に直面しながらも、自身の信念を持ち続け、情熱を注ぎ続けました。
彼の努力と忍耐が報われ、チキンの味が世界中で愛されることとなりました。
このエピソードを通じて、困難に直面しても諦めずに自身の信念を貫くことの重要性や、情熱と努力が成功につながることを伝えるでしょう。
また彼は4つのテストを愛していたことでも有名です。改めて素晴らしいと思いました。
ちなみにハーランド・サンダースが「カーネル(Colonel)サンダース」と呼ばれるようになったのは、彼がケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者として成功した後のことだそうです。
この「カーネル」とは、アメリカ英語で「大佐」を意味する言葉です。
実際の経緯は、ハーランド・サンダースがフライドチキンのレシピを提供するために各地のレストランを訪れ、その味を評価してもらう機会を求めた際に起きました。
彼はレストランのオーナーたちに対して、「カーネルサンダースの秘伝のレシピ」と称して、自身が開発したチキンの味を提供しました。
その際、サンダースが白いスーツとネクタイ、軍人風の外見をしていたことから、オーナーたちは彼を「カーネルサンダース(Colonel Sanders)」と呼ぶようになったそうです。
この愛称は、彼のイメージや風貌とともに、彼がケンタッキーフライドチキンのブランドを築く上で重要な役割を果たしました。
その後、ハーランド・サンダースは「カーネルサンダース」という愛称を受け入れ、KFCのマスコットとして広く知られるようになりました。
彼のアイコン的な存在は、KFCのブランドイメージに大きく貢献したのではと思います。
なお、「カーネルサンダース」の「カーネル(Colonel)」という称号は、実際には軍人の階級を意味しているわけではありません。
むしろ、彼の風貌や外見が軍人を連想させたことから、この愛称が付けられたのそうです。
今週の一曲はチキンつながりでJaco Pastorius-"The Chicken"をお届けします。
だいぶファンキーですが・・・
例会開催期間は、毎週金曜0時より、翌週の金曜0時までとなっております。